ゴム手袋(料理用・掃除用)
1、ゴム手袋は中指の長さを目安に、サイズを決めます。
2、手袋の内側のざらざらした方を表に返して、水洗いします。
3、洗ったらそのままの状態で乾かします。
4、乾いたら表に返します。
いつも買う天然ゴム手袋の内側が粉っぽくなっていたので、洗ってみました。内側の粉っぽいのは「天然素材ではなさそう」なので、洗い流してます。
あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
皆さまにとっても善き一年になりますように。
映画『お茶漬けの味』
Shōchiku - Shōchiku, パブリック・ドメイン, リンクによる
『お茶漬けの味』
監督:小津安二郎
音楽:斎藤一郎
1952年、日本、115分
小津監督の映画はセリフの他は無音か最低限の音のみなので、自ずとその世界観に浸りやすい。
序盤タクシーの中のシーン。まだ路面が砂利道なのだろうか、話ながら妙子と節子が激しく揺れている。
のんちゃんに誘われたパチンコ屋で、戦時中上官だった佐竹と部下だった平山の二人が再会する。朝鮮特需を機に経済上昇をしている社会ではあるが、過ぎ去った事と切り捨てるに捨てれぬ戦争の残り香は、まだそこかしこに残っているのだと感じる。
終盤、妙子ののろけばなしを聞かされた後、女友達は帰って行く。姪の節子もやっぱり帰ると言って帰ってゆく。ここでローアングルは終わる。妙子の物語は終わった。
続くラスト2・3分が興味深い。
若いのんちゃんと節子が一緒に歩いている。上から歩く二人が映し出される。
節子の話を聞きながらも一生懸命口説くのんちゃん。
ここからロングショットになり、黒い鉄柵、門扉、手前から続く歩道に植えられた大きな木の影が映る。
二人は赤坂離宮の正面の門まで来る。もう声は聞こえない。
うるさくなったのかいたずら心が湧いたのか、そこにあった見張り番所にサッと節子が入る。後を追うようにのんちゃんも入る。押し出される。のんちゃん、深くお辞儀をしてもう一度入っていった。
ドラマ『オックスフォードミステリー ルイス警部』
『主任警部モース』のスピンオフドラマ。
ルイスはモース亡き後警部に昇進し、今はハサウェイという部下と共にオックスフォードで事件を解決している。
今週からシリーズ3。
この二人の会話が面白い。特にブラックジョークと言うべきか、イギリス流返しが冴えるハサウェイのセリフがいい。
シリーズ2「名士たちの秘密」では、ルイス警部がスカッシュで腰を痛め病院の待合室にいる。ハサウェイも付き添いでいるのだが、ルイスが名を呼ばれて立ち上がり様に「もしも・・・」と言いかけたところで、すかさずハサウェイが「尊厳死の希望を」。
ルイスは大方治療中に事件でもあったらこうしてくれという類の話を言いかけていたのだろう。当然ハサウェイもわかっている(スカッシュで腰を痛めたくらいで死に直結する確率は低い)のだが、神学部出身であるということが遺憾無く発揮された。
まあ、「業火の祈り」ではベッドに横たわる死期間近の事件の鍵を握る教授に「今ここで告解を」と囁き、出ていけと言われていたが。
また今回の「愛とファンタジー」では、研究員で作家のドリアン・クレインという男性が出てくる。オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』からのものだろう。容姿はオスカー、名がドリアン。うっかり微笑んでしまう。
そして、教授が学生に向かって論文に「イカれ帽子屋」とは書かないようにと注意しているシーンがあった。アリスの原書の中でそんなことは書いていないと。これは事実で「帽子屋のように狂っている」という表現はあるのだが、「気違い帽子屋」はない。いつの間にか「気違いのお茶会」と混同されてしまったのだろう。当時の帽子屋はまだフェルトを作るのに水銀を使用していたため、震えや記憶障害、果ては精神障害など水銀中毒の被害を被っていたそうだ。
この作品、二人の会話が漫才の掛け合いのように感じるほど、こなれてきたのが魅力なんだと思う。
詩は言葉の音楽
詩は言葉の音楽である。
萩原朔太郎の言葉だ。
先日のNHK「視点・論点」の「萩原朔太郎展で思うこと」で萩原朔美が語っていた。
中学の頃に文庫の詩の本を買った。
フランス詩集、イギリス詩集、ドイツ詩集という、まとめられたものだ。
その中でもヴェルレーヌの「落葉」、
秋の日の ヰ”オロンの ためいきの・・・。
ブッセ「山のあなた」、
山のあなたの 空遠く・・・。
短い言葉たちなのに惹きつけられるものがあった。
7・8年前に久しぶりに心が昂る作品に出会った。
ランボーの「酔ひどれ船」。
われ非情の大河を下り行くほどに
17歳の言葉は
熱く心に広がり、
しばらくの間その余韻に身を任せた。
そして萩原朔太郎の言葉で腑に落ちた。
詩は音楽だったのだ。
理屈ではなく心で感じていいものなのだと。