映画『アンナ・カレーニナ』(2012)
「忘れえぬ人」:イワン・クラムスコイ, Public Domein, リンク
監督:ジョー・ライト Joe Wright
脚本:トム・ストッパード Tom stoppard
原作 レフ・トルスト Лев Толстой
音楽:ダリオ・マリアネッリ Dario Marianelli
出演:キーラ・ナイトレイ、ジュード・ロウ、アーロン・テイラー=ジョンソン、
ドーナル・グリーソン
2012年、イギリス、130分
舞台は、豪華ではあるが古びた劇場。そうすることで当時のロシア社交界の退廃、そしてまさに演劇をするように振る舞う貴族たちを表現しているのだそう。
それは監督がこの映画の構想を考えていた時、出会ったのが歴史家オーランドー・ファイジズの「十九世紀のサンクトペテルブルク貴族は、人生を舞台の上で演じているかのようだった」という一文だった。
ロシア人は古くから東洋か西洋かのアイデンティティ・クライシスを抱えていた。が、『アンナ・カレーニナ』の時代には西洋を選びとり徹底してフランスを”真似る”演技をしていたのである。
既婚者であるアンナがヴロンスキー伯爵と出会い、二人恋に落ち、その喜びを全身で感じていく幸福感が恥ずかしいほど伝わってくる。そしてやがて猜疑心に襲われていく切なさも。
そしてもう一人の主人公である地主リョービンは良識の体現者で、彼の人生が交差していくことで全体に深みが出ている。実際アンナが激しく荒立った後のリョービンの静かなシーンになるとほっとした。
衣装の華やかさや小物使いが面白い。初めてアンナがヴロンスキー伯爵と出会った列車で被っていた帽子のレースは顔にほのかな陰影をつける繊細なものだったのが、息子に会いに屋敷に戻った時のはまるで破れた蜘蛛の巣のようなものに感じた。
ちょっと気になったのが、アンナのいる寝室にカレーニンが入ってきて戸棚から大切に小箱を手にするところ。調べてみると避妊具なんだそう。面白いシーンだと思う。
アンナの美しさは勿論のことだが、ヴロンスキー伯爵の青い目、金髪の美男子は例えるならアポロンのような美なのだろうか。対比としてのアンナの夫のカレーニンの黒髪が一層重苦しさを感じさせる。
『アンナ・カレーニナ』の小説は未読なので本文とは違うところもあるかと思うが、ダイジェスト版と思えばとてもありがたい作品だった。
半熟ゆで卵
半熟ゆで卵(1人前)
鍋 1
鍋蓋 1
お玉 1
布巾 1
エッグスタンド 1
スプーン(小) 1
卵(新鮮) 1
天然塩 少々
食パン(6枚切り) 1/2枚
バター 適量(無くてもいい)
フライパン 1
1、食パンを縦3等分に切る。
2、フライパンにバターを溶かしきってから、食パンをこんがり焼いておく。
3、鍋に卵が半分浸かるくらいの水(2.5cm)を入れ、沸かす。
4、沸いたらお玉で卵を入れ、10秒ほど湯の中で転がして、2/10の火にして蓋をする。
5、五分茹でたら取り出し、エッグスタンドに乗せる。
6、乾いた布巾でゆで卵を押さえながら、上から4/1くらいまでをスプーンの背で
殻を軽く叩きヒビを入れ、上の部分を横から一気にスプーンで殻ごと取る。
7、ひとくち味見をしてから塩をかけ、トーストを半熟ゆで卵につけて食べる。
・卵は冷蔵庫から出したばかりのものを使う。
・エッグカッターで切る方法もある。
TVシリーズ名探偵ポワロの『オリエント急行殺人事件』で、朝食時にポワロがゆで卵をボーイにオーダーしていた。程よい半熟のゆで卵のために卵のサイズ、ゆで時間を厳密に指示しているが、届いたものは到底お眼鏡に叶うわけが無く...。
もっとも欧州方面では生の卵はサルモネラ菌のリスクがあるそうで、ここ数年程でBIOの卵なら生食できるレベルになったという感じらしい。
2023/3/4追記
半熟ゆで卵に添えるカットしたトーストのことをToast SoldiersもしくはSoldiersという。
1965年の卵のCMで広まった新しい食べ方なんだそう。
さても卵のお供に兵士達とはこれいかに?
映画『ロバと王女』
Château de Breteuil wikipedia, CC BY-SA 3.0, Lien
『ロバと王女』
監督:ジャック・ドゥミ
脚本:ジャック・ドゥミ
原作:シャルル・ペロー『ロバの皮』
音楽:ミシェル・ルグラン
1970年、仏、90分
お姫様と王子がカトリーヌ・ドヌーヴとジャック・ペランというだけで、もうおとぎ話が完成していた。
NHK『グレーテルのかまど』の「恋する王女のケーク・ダムール」の回で、ケーキを作るシーンが流れた。森で王子が小屋を見つけ窓を覗くとドレスを着た美しい女性がいた。王子は、小屋の女性にケーキを作るよう使いの者を出す。王女はロバの皮から金色のドレスに着替えてケーキを作る。歌を歌いながら最後に指から指輪を抜きケーキの中に忍ばせる。それを食べた王子は、ケーキから出てきたこの指輪にぴったりした指の持ち主と結婚するとおふれを出し、国中の女性の指に試すが誰もいない。最後にロバの皮を被った王女の指を試すとピッタリだったので、結婚することが出来た。
このあと映画は、結婚式にあちこちの国の王様やお妃様もやってくるのだが、そこに王女の父である王様が妖精と一緒になんとヘリコプター(!)でやって来る。
このヘリコプターでの登場はしばらく疑問だった。wikiフランスで調べても、コクトーの映画『オルフェ』の葬式に登場するオートバイと呼応しているとなっていたが...。ますますよくわからない。
これ実はデウス・エクス・マキナという演劇の演出方法の一つ。
古代ギリシャ研究家藤村シシンさんが『Fate/Grand Oder』というゲームの解説動画でデウス・エクス・マキナについてふれていた。そしてツイートで原義について説明している。
デウス・エクス・マキナとはラテン語で、元は古代ギリシャ語のテオス・エク・メカネス。古代ギリシャの演劇では舞台上の物語が広がりすぎて収拾がつかなくなった時に、クレーン(機械)で籠に入った神(権力)を吊るし「皆のもの、やめるのだ」の声で終わらせるというのがあるそうだ。
つまり、広げすぎた風呂敷を絶対的な存在によって一気に収束させること。ドラマの水戸黄門や吉宗(上様)あたりが近いイメージになるのだろうか...?。「機械仕掛けの神」とも訳出されている語なのだ。
ジャック・ドゥミの脚本によって、ヘリコプター(機械)でやってくることで王様と妖精(このあと結婚した王女に、私も王様と結婚したのと打ち明けることで、そもそも王女が王様の元から逃げ出した原因そのものが無くなった)が、デウス・エクス・マキナになったのである。
ちなみにペローの原作は「改心した王様がやってくる。」
古代ギリシャの演劇でも特にギリシャ悲劇に多く使われていた演出ということらしい。明治からの日本の演劇に神の代わりに菩薩様や仏様が突如現れるなどというのはなさそうなので、西洋演劇の奥の深さを時々こうして味わえるのは楽しい。
JAPAN(バンド)
「X JAPAN」を知った時、即座に思い出したのがイギリスの「JAPAN」というバンド。
創刊したばかりの雑誌『JUNE』に、1ページ丸ごと「JAPAN」という文字と共に彼らが写っていた。
そのグループの中でも一人抜きん出た感じの美しい人がいた。
それがデヴィッド・シルヴィアンだった。
そして「JAPAN」という名前と、アルバムのコンセプトか何かの説明か、「ローデシア」という響きの言葉を憶えた。
(ローデシアとは、この時はアフリカにあった独立状態のイギリスの植民地で、この後にジンバブエという国になった。)
その当時は曲を聴くことはなかったけれど、今聴いてみると「クワイエット・ライフ」とかなかなかいい感じで懐かしい。
そうして自分の中ではなんとなくYOSHIKIさんやToshIさんの名を見るたびに、「JAPAN」というバンドがあったこととデヴィッド・シルヴィアンは美しかったということが、いつまでも繰り返されてゆくのかもしれない。
鮭のちゃんちゃん焼き
鮭のちゃんちゃん焼き(2人分)
フライパン 1
蓋 1
キャベツ 200g
玉ねぎ 1個
油 適量
生さけ(切り身) 2切れ
味噌 大さじ2
本みりん 大さじ1.5
1、本みりんと味噌を合わせて溶かす。
2、キャベツ2cmのざく切り・玉ねぎは半分にして輪切り。
3、フライパンに薄く油をひき、玉ねぎ・キャベツの順で広げ、その上に鮭を乗せる。
4、蓋をして、3/10の弱火で10分強。
5、野菜に火が通ったら、本みりんと味噌を合わせたものを回しかける。
6、鮭をざっと崩してキャベツ・玉ねぎと混ぜる。
7、味見して足りなければ、本みりんと味噌を合わせたものを足す。
・塩鮭でもいい。
・鮭は骨を取っておく。
・甘めが好きなら本みりん・味噌に砂糖を味見しながら少し足す。
ドラマ『ミニチュア作家』
『ミニチュア作家』
監督:Guillem Morales
原作:『ミニチュア作家』 ジェシー・バートン
2017年、BBC、157分
おや?
何だか見覚えのある構図のような。
フェルメールやレンブラントなどの17世紀オランダ絵画の絵を見ているようだった。
だからか、ネラ達の動きも絵画的なシーンが多く、はっとする場面が多かった。
落ちぶれた貴族の家からお金のために嫁いだネラ。夫ヨハンネスから豪華なドールハウスを贈られ動揺する。なぜならドールハウスは子供が遊びながら家庭内の切り盛りやメイドの扱いなどを学ぶもの。動揺しつつも義妹マーリンから渡されたリストの中の職人に製作を依頼する。ミニチュア小物が届くが頼んでもいない物もあった。それが家の中にあるものと全く同じであることで不安になるネラ。しかも夫は妻と夜を共にしてくれず。ある日そんな夫の秘密を知るだけでなく商人仲間の裏切りが行われる。そしてミニチュア小物が予言のように現れることに気が付き、その送り主であるミニチュア作家に会うことを切望する。
青や黄色のネラの鮮やかなドレスが美しい。
撮影はオランダのライデン。窓から見える運河沿いの景色。どっしりと重たいカーテン。揺れる蝋燭のあかりで朧に浮かぶ影。所々で現れては消える女性。この女性の存在がこの作品をミステリーとしてリードしている。
監督はバルセロナ出身のギジェム・モラレス。彼は美術史を学び、1999年にLGBTIを扱った短編映画『Back Room』でデビュー。全体的にドラマの作りがスペイン風になっているそう。
作家のジェシー・バートン(本名ジェシカ・キャスリン・バートン)はオックスフォード大を卒業し、2008年に俳優デビュー。その後休暇でアムステルダムの博物館を訪れたことがきっかけとなり小説を書き始める。2014年に『ミニチュア作家』で作家デビュー。
原作はアムステルダム国立美術館所蔵の『ペトロネラ・オールトマンのドールハウス』から着想を得た歴史小説で、実在のペトロネラ・オールトマンの伝記ではない。
スーパー
週に何回かスーパーに買い物に行く。
その時、持ち帰り専用買い物カゴかレジ用エコバッグを持っていく。
会計の時、レジの人がとてもキレイにカゴに詰めてくれる。
パズルのようにピッタリと入れる人もいるし、
ふんわりと入れる人もいる。
それで思い出すのが数年前のイタリアのスーパーでの買い物。
そこはレジの台はベルトコンベアになっていて、レジの人は椅子に座っている。
早速品物を乗せると、前の人の品物と区別が付くように黄色い仕切り棒を置かれる。
この時チラッとレジの人が見てくるので「Buon giorno(こんにちは)」なり
「Buona sera(こんばんは)」なり言う。
ベルトコンベアに品物を次々と乗せていく。
レジの人は椅子に座ったまま、流れてくる商品を一つ一つ手に取りスキャンする。
スキャンした品物はレジの向こう側のベルトコンベアに置いてゆく。
全部スキャンしたら会計になる。(その間もベルトコンベアは動いているので品物はどんどん流れて端に溜まっている。)
日本のレジと違いお釣り受けみたいなものは無い。
現金を渡すと当然お釣りを返されるのだが、なんと!客からレジを守るプラスチックの仕切りカバーの上の平らなところにこの時は置かれた。(前の人もそうだった)
そしてなぜかコインは全部裏にして返してくる。つまりいくらなのか判らない。
ここは外国なので、信用してそのまま受け取ってはいけない。
レシートに書いてあるお釣りの金額をしっかり見てから、
(ここ大事!)”置いてある場所で”全部のコインを表にし、間違いがないかゆっくり確実に確認する。
自分の後ろに客が並んでいて、もう次の人の分をスキャンしていても気にしてはいけない。
もし違っていたら、お釣りに触らないで「違う」と言いながら指差しをする。
言葉がわからなくても、こういう時は相手に間違いなく伝わるのである。
レジの人が隣のレジの人に何だか叫んでいても気にしない。
そうして不足分が正されたら、もう一度確認し間違いなければ、ゆっくり焦らずお財布に入れ
「Grazie(ありがとう)」と満面の微笑みで礼を言う。
それからベルトコンベアの先で溜まっている品物を手持ちの買い物袋に入れ、お店を後にした。
またある時、車椅子の女性が膝の上に少しの品物を乗せてレジにやってきた。その人は列に並んでいた人たちを追い越して、次の次に順番が来るであろう韓国人の女性の体に車椅子を使ってトントンしていた。女性は連れの人と話していて気がつかないようだった。そこへ店の男の人が急いでやって来て韓国人の女性に何か話しかけ、無事、車椅子の女性は会計して去っていった。イタリアには身体に障害のある人を優先させるマナーがあるのだろうか。あるとしたらとても素敵なことだと思う。
ドラマ『アストリッドとラファエル』
自閉症の文書係アストリッドと姉御肌の警視ラファエル。
第一話『パズル』でアストリッドが折り畳み傘を2本用意する。不測の事態を予想し対処することで安心を得る、というのは普通だと思うけど、ちょっと過剰気味になりやすいところをソフトに描いている。
脚本家の一人ド・セガンはステレオタイプな「自閉症の天才」ではない描き方をする為に、動物学者で自閉症のテンプル・グランディンの著書を読んだり自閉症の活動家ヨーゼフ・ショバネックの本からもエピソードを参考にしている。
第3話「ミッシング・リンク」でアストリッドの買い物シーンがあり、その店が日本の食料品店。タナカさんという主人が経営してる設定で事件が解決した後、ラファエルがタナカさんから抹茶を振る舞われるとき交わした話がちょっと興味深い。ラファエルが私はどうしたらいいのかというと、タナカさんがあなたは彼女の目印になりつつあるので何もしなくていいと助言するのだ。
ラファエル役のローラ・ドヴェールがゴクミっぽく見えたりドヌーヴっぽく見えたりするが美人。体型のふくよかさが姉御肌のキャラを後押ししている。ミュウ・ミュウの娘。
アストリッド役のサラ・モーテンセンはノルウェーの女優。背が高く鉛筆のように細いところがラファエルとのキャラの違いを立たせている。
人気ドラマだった『ダウントン・アビー』以降、特に顕著にひどい悪人がいなくなったように感じる。役者は物語の役を演じているだけなのだが、役と個人のキャラクターを混在し攻撃する一定の視聴者の存在が大きいのだろう。その代わりに物語に深みを与えるのに個性的な存在に焦点を当てていく風な流れになっているのだと感じた。そもそもカンバーバッチの演じた『シャーロック』もなんだかおかしな人だった。
9/6追記
あっ...
アストリッドが時々言う。